「ずるい」という言葉を最近の子どもがよく使うのにお気づきですか?しかも、その使用法は往々にして間違っている事が多く、けっこう癇に障るのです。
今日もまたその、もはや口癖といっていい表現を聞いてしまい、思わずここに書いてみたくなりました。
今日の低学年のレッスンで数人の子供達と私とで学習した内容の確認のためカードを使って、ジジ抜きをしました。皆、誰一人、不正を働くことなく楽しくゲームは進んでいきました。でも、大人の私がペアのカードを出し、持ちカードが減ったことを敢えて喜んで見せると、途端に「ずるい~!」の声が。やっぱりな。そう来ると思ったぞ。言った子はただ私に対する親しみを込めたツッコミのつもりで言ったであろうことは重々承知しています。本当に子どもらしい可愛さを全て持っているような子でもありますし。でも、こういう子がこの場面で、もはや当たり前のようにこの表現を使うことに「やっぱり、ここまで浸透しているのか」と軽いショックを感じたのです。
ここではっきりさせておきたいのは、「ずるい」という言葉はご存知の通り、「自分の利益を得たりするために、要領よく振る舞うさま。また、そういう性質であるさま。悪賢い。」という非難の意味だという事です。
でも、最近の子供達が実際によく使うのは、誰かが自分の持ってない物(カードなど)を持っているのを知ったとき、誰かが自分よりうまく何かができたとき、なのです。もちろん、その「誰か」はいっさい不正を働いているわけでもなく、非難される覚えはまったくないのです。むしろ努力の結果勝ち得たものであるわけで本当なら称えられるべきなのですが。ちなみに最初にこの用法を聞いたのは7年前でした。この用法に私はなにか「あさましさ」を感じて気分が悪くなるのです。自分より少しでもいい思いをしている者に対するやっかみのような感情をすぐにその相手にぶつける、いわば「いいがかり」のような品のなさが感じられて不快になるのです。
子どもの世界の現象は大人世界の反映でもあるわけで、実際、自分のすべき事はきちんとしないのにやたら理不尽な要求をする大人が増えてきているのはニュースなどから周知の事実ですよね。そして、日本全体が不況だった数年前、自分より安定した仕事についている者へのいいがかりは目に余るものがありました。昔なら尊敬の対象だった教師に対しては一部の人の不始末を鬼の首を取ったように喜んで教員全体へのバッシングキャンペーンがマスコミあげて行われたのは記憶に新しいですよね。公務員バッシングもありましたね。確かにいい加減な人もいるし、正すべき問題もありますが、個々の大多数の教員や公務員は日々真面目に自分の仕事を法律に従って粛々とこなしているのであってバッシングを受けるいわれなどないのに本当にお気の毒です。
そして、言葉は進化するので、本来の「ずるい」の意味は上に書いた「自分だけいい思いしやがって、むかつく」へ一部進化しつつあり、しまいには「いいなあ」「よかったね」を表わす表現の一つになってたりして。
8 件のコメント:
「びみょう~」「はぁ?」も気になりますね。これ使われるとむかつきます。って「むかつく」も嫌な言葉だなあ。
いまは「ずるい」ってそういう言い方なんですね。勉強になりました。言葉って大事ですよね。
「びみょう~」はもう自分も結構使ってますね。ただ、特定の相手にわざと使ってるだけですけどね。いや、もしかしてすでに無意識にあちこちで見境なく使いまくってるかもしれません。慣れって怖いですものね。
そういえば、去年、我が家にホームステイしていたカンボジアの某副知事さんにうちのDHったらその「びみょう~」を、使えるスラングだといって教えてましたわ。
「はぁ?」はまったく嫌な言葉ですよね。「むかつく」も自分では絶対口にはしない言葉ですね。
「ずるい」のそういう言い方、出雲限定だったらすみません。だれか言語学者さんがリサーチしてくれないでしょうかね。
うん、確かに感じます。私の場合は、大人の20代から50代の大勢の女性と同じ職場で働いているのですが、同一程度の環境、学歴、経済力以上のものは、バッシングに遭う傾向大です。一人づつみんな違って当たり前…なのに。おかしいですよね?もちろん、ひけらかしたりするのは、まずいので(まぁ、そんなものないんですが…笑い)、適当に受け流しているんですが、偶然良い目にあっても、何であの人ばっかりっという空気が流れて、非常に怖い。実際、噂されたり、無視されたりがあるんですよ。世の中ってヒガミとねたみで出来てるんかい?と疑わずにいられません。
匿名さん、
仕事をがんばって、その結果認められて、本当によかったですね。でも、一方そういった苦労もあるんですねえ。ヒガんだり、ねたんだりしてる人って醜いですよね。自分もがんばるぞ、という考え方ができないんでしょうかね。
そう言う自分もこれまでの人生の中で一度もそんな感情を持った事がないとは言えないですけどね(苦笑)。そんな感情を持っているときっておなかの中がどす黒くなっているように不快なので、私は、うらやましい人をみるとその人の幸運を喜ぶ事にしています。そうするとこっちの気持もすごく晴れて自分まで運がよくなる気がするんですよね。そしてがんばろうという意欲が湧くのです。
特に出雲地方は「自分さえ良ければ」ではなく「人さえ悪ければ」の土地柄だと聞いた事がありますから、マイナス思考になりがちな人が多いかもしれません。
その通りだと思います。人を呪わば、穴二つですよね?幸運な人のパワーにあやかりたいなぁ…自分も努力しようって思う気持ちはプラスに働くけれども、人の不幸を願う、意地悪な気持ち・実際にいじめているときの人間の顔は醜いと思います。人間関係って本当に難しいです。でも、職場ならば、仕事だけの関係と割り切れば良いので、嫌な事を言われても聞き流し、よっぽど暇なんだぁと思って終わりなんですが、今の時代の子供たちは、とてもしんどそうです。もし、子供が大きくなっていじめに遭ったとしたら…学校が全てではないという事を教えてやりたいです。
ホント、今の子供達って、狭い人間関係のなかですごく気を遣って生きているそうですね。だから勉強に注ぎ込むエネルギーもなくなるほど学校生活で消耗している子が多いそうです。わが道を行くタイプの子は自分にある程度自信も誇りもあるから一人で過ごす時間を逆に有意義に過ごせるのですが、そうでない子はいつも周りを気にしながら自分がイジメの標的にならないよう神経をすり減らし、いつもグループの仲間の一員だと確認してないといけないから自分の時間もどんどんなくなって、勉強も手につかないようですね。
うちはわが道を行くタイプの典型ですが、それでも意地悪された時どうしようか、意図的に仲間はずれにされたら・・・と心配になる時があります。親がいつも子どもに誇りと自尊心を持たせるようにしてやらないといけませんね。
一時期、子ども達の間で『セコイ』という言葉が『ずるい』と同義語的なニュアンスで使われていましたけど・・・あれもいただけませんでした。
意味としてはズルイと同じなんですけど、使い方が適切でなくて気になりました。
また、時々同席する高齢者の茶飲み話も『ずるい』と口に出さないだけで、そういう妬みや嫉妬のこもった言葉か延々と取り交わされているので・・・正直疲れます^^;
大人の立ち振る舞いや何気ない会話を、子ども達もしっかり見たり聞いていると思うので、気をつけないとなぁといつも思います。
サスケさん、お久しぶりです。(実生活では先日会ったよね?)ちょうど、「最近サスケさん、こちらで見ないけどどうしておられるのかしら」と気にしてたところだったんですよ。
「セコイ」も確かに使う子どもがいましたね。しかもヒステリックに。最近はよくその言葉を使っていた子とはあまり関わりがないので忘れてました。
高齢者の集まりもそうなんですねえ。自分がまだ実家にいた頃、よく祖母とその茶飲み友達の話が聞こえてきたけど、やっぱりそんな感じだったかも。人の悪口や身内の自慢が多かったように思います。そういう人たちと一緒にいると疲れますよねえ。同じ高齢者でもさわやかな方達もいらっしゃるでしょうにね。
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