2017年5月1日月曜日

舞台『犬夜叉』観に行きました。



観劇してからかれこれ1か月が経ちました。
この舞台は4月6日から4月15日まで品川区の天王洲銀河劇場にて上演されました。
千秋楽は全国60か所の映画館と、台湾、香港の映画館でライブビューイングが上映されました。

私は2日目の公演を観劇しました。Twitterなどでよく見かけたのが10口応募しても全く当たらないという嘆き。でも、私は一口しか応募しなかった中、当選しました。こんなチャンス逃がせません。
この時はまだ癌の告知の二日前だったので、すぐに飛行機とホテルを予約しました。

前から7列目の上手側。いつもライブでも上手になるのですが、ライブは喜矢武さんが上手にいるので丁度いいのですが、さて舞台では?と思っていたら、結構上手側にいるときに客席側を向いてることが多くて、何度も正面からお顔をばっちり拝見。

3回目の舞台で喜矢武さんの演技もかなり上手くなっていました。今回演出家の茅野イサムさんがかなり厳しい方らしいので相当鍛えられたのもあるでしょう。

ヒロインを演じた乃木坂46の若月さんや伊藤さんもとても演技が上手くて感動しましたし、驚きました。
若月さんがインタビューで「喜矢武さんの言動でみんなが救われた。かっこいい座長です。」と褒めてたのですが多分他のキャストさんも演出家のダメ出しで鍛えられたのかもしれませんね。

下の動画は初日のゲネプロの一部と、インタビューです。



とにかく素晴らしかったです。原作も読んでないしアニメも見たことないけど、内容はしっかり入ってきました。そして、犬夜叉や桔梗を取り巻く切ない二組の三角関係に、こちらも切なくなりました。

当日は4月初旬なのに出雲も東京も朝からすごく暑くて最高気温が23度。
薄いニットのワンピースとスプリングコートだと朝から大汗かきました。

ホテルは天王洲銀河劇場の最寄り駅から一駅の品川シーサイド駅の真ん前品川シーサイドフォレストの中にあるホテルサンルート品川シーサイド。
初めてりんかい線に乗りました。

ホテルは建物の16階から上。フロントの前のロビーでは白人の旅行者が大勢ソファでくつろいでました。
チェックイン前にホテル内のレストランで食事。結構庶民的なお店でリーズナブルな昼食。窓からの景色はこんな感じ。


同じ敷地内にオーバルガーデンという商店街とその先にイオンモール。


あまりにも汗をかいたのでイオンで下着を買い足しました。ついでに値引きになってたチュニックを衝動買い。
それからホテルに戻りチェックインして、服をハンガーにかけて、衣類用消臭剤を振りかけて3時間放置。
5時ごろ1Fの上島珈琲店で黒糖コーヒーのアイスを飲み、いったん部屋に戻って5時半ごろに会場へ向かいました。

天王洲アイル駅にはすぐ着きましたが、そこから道に迷い、また大汗かきました。予定ではもっとスムーズに行くはずでしたが、思わぬところで体力消耗。手術からまだ10日しか経ってない身体には少しきつかったです。でも歩くことは推奨されているのでむしろ良かったかも。

反対方向に向かっていたことに気づき後戻りしたら、劇場へ向かう人の流れを見つけ同じ方向へ。無事に劇場のあるシーコートスクエアに到着。

地図などでは駅からもっと近いように書いてあるけど結構歩きました。劇場があるのはシーフォートスクエアビル。
エレベータで二階に上がるとこんな感じ。
喜矢武さんをかわいがってくれてる先輩のDAIGOさんや
HYDEさんからのお花。右端の方には原作者の高橋先生からのお花も。

2階の受付をすますとそこから階段を上るように言われ3階の劇場へ。
この階段が段差が大きいうえにカーブもついていて、このたびの旅で初めて患部への負担を本気で心配しました。しかも脚が軽くつりました。上がりきったところでチラシなどを渡してるバイトらしきお姉さんにエレベータはないのか聞いたら「ないです」とのこと。適当に答えたの見え見え。だって大量のチラシやパンフレットなどのグッズをどうやって3階まで運んだというのでしょう。
開場まであと15分くらい。その間にパンフレットだけ購入しました。
そして待ってる間に車いすの人とその背後にエレベータ発見。

帰りは無事にエレベータを利用させてもらいました。

劇場を出たところでパシャリ。

帰りはスムーズでした。

翌朝羽田までシャトルバスで行こうか、電車で行こうか迷いながら、結局電車にして料金的にも時間的にも体力的にも損した気がしました。やっぱりシャトルバスにしとけばよかった。せっかくホテルの前から出てるのに。

そしてまさかの出雲空港上空が霧のため視界不良で条件付き運航に。
でも無事ほぼ予定時間に着陸。胸をなでおろしました。最近このパターン多すぎ。それが嫌であえてリスクの高い伊丹経由を避けて運賃の高い直行便にしたのに。

少しお土産を買う時間があったので、東京ミルクチーズ工場のクッキーを3種類購入。
舞台のビジュアル撮影時のインタビュー記事掲載の雑誌と、公演に行ったとき購入したパンフレット。



最後にお気に入りのかわいい犬夜叉喜矢武さん。

健康自慢だったのに・・・③

術後三日目の3月31日。朝食後、術後初めての便通がありました。
腸の癒着が怖いので便秘は大敵と何かで読んでいたので、ひとまず安心。
でも早くシャワー浴びたいというか、頭を洗いたくてたまりませんでした。

10時に4人部屋に引っ越し。

部屋に入った時点で他のベッドには誰もおられませんでした。カーテンは看護師さんが閉めていかれました。しばらくして隣のベッドの方らしき人(30代くらい?)が来られ、私のテリトリーのカーテンの隙間から見えました。それからすぐ向かいのベッドに新しい人(80歳)が来られ、にぎやかに挨拶を始められました。私はカーテンを閉め切った状態だったし、なんとなくその時はスルーしました。なんか鬱陶しいなあ、やだな~と思いましたが、ネットで調べると、挨拶はしといたほうがよさそうです。そこでタイミングを見計らって皆さんに挨拶しました。
その後はとても和気あいあいと楽しく過ごしました。最初4人でしたが一人は私が入った3時間後に退院されました。残りの3人で、病院なのにこんなににぎやかだと迷惑なんじゃないかというくらいに明るく楽しく過ごしました。婦人科病棟だと思っていたのですが、他の方は整形外科や消化器内科の患者さんでした。

さて、傷口も綺麗、ドレーンの液も綺麗、便通もOKで順調に回復しました。先生に腸の癒着が心配と話したら、食前に飲む、腸を動かす漢方薬を出してもらえました。
これで、痛み止めと、抗生剤と、大建中湯の3種類の飲み薬を服用することになりました。

4月1日にはドレーンは取ってもらえるはずでしたが、先生に緊急の手術が入り、翌2日の午前にやっと取れました。
驚いたのは、ドレーンを抜く処置が病室のベッドで簡単にできたこと。管とお腹を固定するために縫ってあった糸を切って、その後は幅3ミリほどの細いテープを数枚傷口の上に張るだけ。シャワーのことも考えて、一応その上から防水の絆創膏も貼ってもらえましたが。
ようやく晴れてシャワーに行けました。傷口は少し組織液がにじむ程度でした。

その処置の前後に看護師さんから明日退院の予定ですと言われ驚きました。先生からは聞いていなかったので。夕方に診察を受け、翌日の退院が決定しました。次の診察予定日も4月20に決まりました。
先生からは東京ではくれぐれも気を付けてと念を押されました。勧めてるわけではないですからとも。ホテルも、劇場も駅からすぐのところだから大丈夫だけど、りんかい線は初めて乗るからそれだけが少し心配になりました。

同室のお二人にファミマであらかじめ買っておいたスティックタイプのコーヒー(小豆味)を記念にお渡ししました。

そして翌日10時に無事退院しました。

本当に本当に医療ってすごい、そして医療スタッフの皆さんは素晴らしい!と感謝の気持ちでいっぱいです。

それと、病院での食事が結構野菜もメインディッシュもたっぷりボリュームがあり、健康によさそうでした。味もよかったです。
今まで家庭で作る料理を手抜きしまくっていたのを反省しました。

退院した日はとさっそく具沢山の野菜のおかずなど、充実した夕食を作りました。

翌日からは仕事関係の文書をたくさん作成し、6日には1クラス授業もし、7日には無事東京に一泊で行ってきました。
東京から帰ったらその日のうちに2クラス授業もこなしました。

でも東京から帰って数日後、なんか腸のおさまりが悪い気がして心配になって病院に電話しました。夜だったので救急に。結局緊急を要するものでないとのことで、様子を見ているうちに違和感も改善されました。

退院後20日くらいするとお腹の違和感がほぼなくなり、体重も減ってきました。

4月20日の退院後初めての診察でも経過良好で、入浴許可も出ました。
また、化学療法の話は今回出ず、経過観察で当分は3か月に一回受信し、半年に一回CT検査を受けることになりました。

それから10日あまり経ちますが、いい感じです。体重は夜食のせいかまた増えてる感じですが。

健康自慢だったのに・・・②

そして、3月27日午後から入院。

その日までに、もし手術で何らかの事故があって帰らぬ人になった時のことを考え、保険や貯金などの関係書類等の場所を夫に伝え、仕事関係の連絡先を電話機のすぐ上の目につきやすい場所にメモったり。

仕事も年度末でやることびっしり。おまけに手術前日は外国人講師を招いてのイースターパーティを2本立てで実施した後、高校生クラスを2コマ3時間。
入院当日の朝も短期コースの授業を一コマしました。2016年度の仕事をやりきりました。

さて、午後1時前に病院の入退院センターで受け付けを済ませ、病棟へ。身長と体重を廊下で計測。4人部屋に案内され待機。すぐに夫とともに主治医から手術についての説明を聞く。子宮全摘、卵巣とリンパ節の郭清も行われるとのこと。PET-CTの結果、リンパ節については骨盤周辺だけで済みそうとのこと。夫はそこまでの大手術とは思っておらずかなりショックを受けた様子。手術にかかる時間は5時間と聞いて、「私、かなりおなか周りに脂肪がついてますが、大丈夫ですか?」と聞いてみた。先生は「頑張ります!」
手術後の再発防止についての話も少しありました。化学療法をすすめられました。

翌朝一番で手術。

手術前日は夕食を食べ、夜浣腸で出すもの出して、さらに翌朝は食事なしでまた浣腸。
手術直後に必要となるT字帯は夜のうちに院内のファミマで買いました。
これで手術の準備万端。

夫は8時半前に到着。9時前に一緒に看護師さんに連れられ、手術室前に。すぐに私だけ手術室に入りました。

この時の心境は、もし麻酔の事故とかあったら、とか一瞬脳裏をよぎりましたが、考えてもどうにもならないし、摘出手術自体もイメージするのが怖いので、心を完全に「無」の状態にしてました。自分ではどうすることもできないし、Dr.の皆さんにゆだねるしか術はないのですから。

そう言えば、手術の一週間前、いつも行くスーパーのガラポン抽選会で一等賞が当たりました。こういうのいつも外れるし、ティッシュもらうために回しただけだったので驚きました。そして、喜矢武さんの舞台のチケット争奪戦も難なくクリアしたし、私死ぬのかな…(死ぬ前に運を使い切ってるのかなという感じ)と思ったりもしました。

眼鏡を預けて手術台に上がりました。すぐに数人のDr.や看護師さんたちに囲まれ、麻酔の点滴の管を腕に付けられ、頭には脳波を見るためのコードをペタペタ貼られ、パジャマを脱がされ、と色々な作業がすごい速さで進みます。
麻酔科の先生の「麻酔入ります。」の声に「はい。」と言ってから多分3秒以内に意識失ってました。

目が覚めたのは7時間半後。病室は朝までいた部屋と違い、個室でグレードの高そうな感じ。その時の私の状態は、左腕に点滴、顔には酸素マスク、尿道に管、右の脇腹にドレーンの管が入ってました。手の指先にクリップが留めてあり、モニターとつながってました。
全身どこも特に痛みはなし。そう言えば、局所麻酔の方は、硬膜外麻酔か神経ブロックか迷った末に神経ブロックの方にしたけど、それでよかったと感じました。

無事に手術が終わって、ちゃんと生きていて、そして痛みもないなんて、医療って素晴らしい!!

夫がベッドサイドに立っていました。何時かたずねると、4時半とのこと。予定では2時に手術が終わる予定で、夫は飲み会があるから4時には帰ることになっていたのですが。
欠席すると言う夫に、まだ間に合うから行く様に言いました。

その後は、担当の研修医の先生や看護師さんが来てくれました。先生に手術時間が2時間延長した理由を聞くと、やはり脂肪が多くてそれをよけながら摘出作業をしたためとのこと。いや~、ほんとにお世話かけました。

基本ずっと眠ってました。看護師さんが体温と血圧等を診に来られるたびに 目がさめ、また眠るというのを繰り返すうちに朝が来ました。後で知りましたが1時間おきに来ておられたそうです。

看護師さんには酸素の数値のチェックや、血栓防止の注射、ドレーンの管理などいろいろお世話になりました。
ほとんどの看護師さんが優秀で、おまけに美人で優しくて、もう本当に尊敬します。さすが医大の看護師さんだと思いました。

唯一感じの悪い若い二人組がいたのが残念でしたが。研修の学生だったんでしょうか?いつもは担当の看護師さんが一人でお世話してくれるところ、あの人たちは二人組だったし、話し方がだらしなくて、しかも人を馬鹿にするありえない言動があり、他の看護師さんとは全く人種が違ってました。

とにかく先生、看護師さんには感謝してもしきれないくらいありがたいと思いました。もう尊敬するしかない!!

28日に手術して翌朝29日は早速朝食がガッツリでました。ベッドで起き上がり座るのが結構きつくて、食欲もなく、卵の入ったスープとオレンジくらいしか食べませんでした。
なんかお腹の中身が下がって感覚があり、座ると圧迫感があるのです。太りすぎのため自分で自分のお腹の傷はよく見えませんでしたが、看護師さんによると、傷口はとても綺麗だとのことでした。

手術前にもらっていたスケジュール表だとこの日は立って歩けるのが理想。お昼に試してみましたが、ベッドから降りて立つところまではよかったのですが、歩こうとした途端、猛烈な吐き気が来て、朝食べたもの全部戻してしまいました。幸い吐しゃ物は専用容器の中に全部入りましたが。
歩けたら尿道の管はとって自分でトイレも行けるはずでしたが、残念。その日もほとんど寝て過ごすことにしました。昼食も夕食もほとんど手付かず。
先生や看護師さんの話から、点滴で入れている麻酔が吐き気の原因かもということで、夜遅くやめてもらいました。代わりに錠剤の痛み止めを服用することになりました。

翌朝30日はかなり元気になり、朝食も7割くらい食べました。

そして、試しにベッドから降りて立ってみると、吐き気はありません。そして歩くのも問題ありませんでした。
尿道の管も外してもらい、自分でトイレも行けます。
どんどん歩いた方がいいとのことだったので、洗濯室に洗濯に行ったり、談話室の給湯器までお茶を汲みに何回も行ったりしてバタバタ動き回りました。

そして昼食も夕食も完食(^^♪

夜からは薬を自分で管理して飲むことになりました。
それと、術後最初の夜からからしていた抗生剤の点滴も、確かこの日の夕方くらいには終わったはず。

術後2日目のこの日は、朝10時に部屋がまた大部屋に変わることになっていたけど、緊急で入った患者さんがいて、私はもう1日個室にいることになりました。ラッキー!!とっても広くていい部屋だし、何より個室で自由。7階の南側の部屋で、2階ほど下の屋根がに花壇が作ってあって窓から眺めました。ラグビー場やヘリポートも見えます。


窓際にはソファベッド。



トイレ&シャワールーム
まだシャワー出来なくてシャワーは使いませんでしたが…